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2012年3月29日 (木)

万葉集中の伝承

最近、将棋に加えて万葉集を読むことも趣味になっています。もちろん将棋同様に全くの素人ですので、図書館から対訳付きの易しい本を借りて来て読んでいるわけですが、今までに読んだ歌は約1800首、全二十巻中巻第九まで読み終えました(手元の本は全二十巻の内容を上中下の三巻に分けて収めていますが、つまり中巻の真ん中あたりまで来ています)。今日は、私が面白いなと思った歌を紹介しようと思います。
巻第九 国歌大観番号一七四〇
水江(みづのえ)の浦島の子を詠む一首 短歌を并せたり
春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出でゐて 釣船の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛釣り誇り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神のをとめに たまさかに い漕ぎ向ひ 相誂(あひあとら)ひ こと成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙(たへ)なる殿に 携はり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世の中の 愚人(おろかひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告げて語らく しましくは 家に帰りて 父母に ことも語らひ 明日のごと われは来なむと 言ひければ 妹がいへらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 会はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 墨吉に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 怪しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(ほと)に 垣も無く 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに こころ消(け)失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後(のち)つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家所(いへどころ)見ゆ

反歌
常世辺に住むべきものを 剣刀(つるぎたち)己(な)が心から 鈍(おそ)やこの君

無論本の丸写しですが、エラそうに(笑)語注を載せておきます。
とをらふ・・・船が波で揺れている 海界・・・海の境で、現世と常世の境界があると考えられていた 我妹子・・・我が妹子の縮小されたもの。この場合は、浦島の子を「我」として神女のことを指す 開くなゆめ・・・「ゆめ」は「決して」という意味。「夢」は「いめ」だったそうです ゆなゆな・・・後々は、の意味かと言われているそうですが、未詳らしい 剣刀・・・己の枕詞で、「ナ」は「刃(やいば)」の古語であることからかかるそうです 鈍や・・・「鈍(おそ)し」は愚鈍なこと。「や」は感動の助詞

 長歌はまず作者(高橋連虫麻呂)が、春の日が霞んでいるときに墨吉(現在は住之江と書いて大阪に地名が残っているらしいです)の岸に立って景色を眺めているシーンから始まります。そうして「いにしへのことぞ思ほゆる」と言い、十句目以下その伝説を語るわけです。今で言う浦島太郎の話ですが、既に奈良時代に「いにしへのこと」として伝承されていたんですね。
 「浦島の子」は鰹や鯛を釣って得意になり、海の果てまで行ったところで偶然神女に遭遇、そのまま話がまとまって結婚し、海神の宮殿の奥の立派な宮殿(神の宮の内のへの妙なる殿)でラブラブ不老不死ライフを楽しみます。ところが三年ほど経った(と彼は思った)ある日、彼は家に帰って両親に報告してくると言ったので、神女は絶対に開けてはならぬと堅く言い含めて玉手箱(玉櫛笥)を渡します。私の読解能力では、本来彼に与えられるべきであった老いを櫛笥に詰めていたと考えられるのですが・・・国語の先生に聞いてみましょう(笑)さて、現世に帰ってきた浦島の子ですが、家も里も消え失せていたので、「この箱を開ければもとのように家も里もあるだろう」と思い少し開けてみると・・・残念でした——そんな浦島の子の家のあった地が見える、と最後の三句で締めています。反歌では、作者は浦島の子を簡潔に批評しており、結論は「鈍やこの君」ということです。
 浦島太郎の昔話は、動物報恩・竜宮行き・見るなの禁を犯す、という三つの要素を基本としているそうです。万葉の伝承では動物報恩(つまり亀を助ける話)はありませんが、海神を畏れ祭り、厳しい海を生活の場としていた人々にとって、不老不死の世界で美しい乙女と楽しく豊かに暮らすことは憧れであったと手元の本では解説されています。ではそんな理想郷はどこにあるのか、といったときに、彼らは海の彼方にそれを空想したというわけです。現代では動物報恩と見るなの禁を犯す部分に(特に前者)重点が置かれて語られているような気がしますが、どうでしょうか。どちらも教訓的なものです。和歌でも浦島の子を愚かと言っていますが、それは玉櫛笥を誘惑に負けて開けてしまったことを言っているのではなく(そもそもそういうストーリーではない)、現世を捨てられなかったことを言っているので、意味合いが違ってきています。その「愚か」という言葉はある意味とても素直なものだと、これは私の個人的な感想です。もっとも、現代に生きる私たちは、海の彼方に常世があるというようなロマンには遠い存在であるのかもしれませんが。 

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