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2012年5月

2012年5月27日 (日)

対振り穴急戦







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▽6一金型の速攻を試してみましたが、こちらが後手なのでハッチを閉められてしまいます。
30手目以下角の打ち合いから香を取らせるのはやってみたかった指し方ですが、満足とは言い難いところ。本譜は39手目以下のやりとりで先手が損をしたと思われます。46手目▽6七歩が入ってしまっては後手優勢でしょう。
しかしそこからがひどかいもので、48手目は▽6八歩成で勝てたでしょうし、54手目以下57手目まで先手で桂を拾われたのも頂けません。
ですが79手目の▲2六香は筋に見えて失着だったと思います。普通に▲5二歩成とされてどうかというところですが、本譜は▽4二玉が少し気付きづらい受けでした。少し調子が戻ってきているのでしょうか。

振り穴vs居飛車急戦の形は、対照的な陣形のバトルと言えるでしょうから、個人的にはとても面白いと思っています。まあ穴熊が勝ちやすいのが実情なのですが・・・。

2012年5月13日 (日)

振り飛車党へ

最近角道を止める振り飛車に凝っています。
三間が中心なのですが、居飛車穴熊or左美濃+右銀急戦がなかなか手強い。
今日あげるのは中飛車を指してみた棋譜です。






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9(手目) ツノ銀が普通なような気もしますが、▲5七銀型というのを指してみたかったので。
25 悪手。仕掛けを呼んでしまいました。ただ放っておいてもガチガチの穴熊に組まれそう・・・。
26〜28 常套手段の仕掛け。▽7五歩の突き捨ても入る形だったらなお先手困っていました。
32 一回銀を追い払おうとしたのでしょう。冷静です。
33 ▲3六銀と引いては勝てなくなると思い、頑張りました。
36 普通に▽4五桂と取ってしまう手があったと思います。以下数手その機会はありました。
37 怪しい角打。ここらへんはかなり絶望的です。
43 勝負。
52 先手は飛車交換には持ち込んだものの、銀得の後手が大いに良いでしょう。
56 大きな取り込みです。
58 少し疑問の可能性もあると思います。▽6六角あたりが急所だったのではないでしょうか。
62 これが期待の一手だったのでしょう。
65 ▲4三歩成▽同飛▲4八歩では圧敗します。先手玉は手抜きでも意外に保ちます。
69 更に手抜き。
72〜76 先手の金の位置を変えてから放り込みましたが・・・。
78 これが詰めろになりません。
79 よってこれで先手勝ちです。
81 ▲4一竜で詰んでいました。
85 以下▽同銀▲5二金以下詰み。

毎回横に出てしまう /> はどうやったら消せるのだろう・・・。

2012年5月 5日 (土)

あづまうた

 万葉集は現在巻第十五の途中まで来ましたが、その前の巻第十四というのが面白い巻で、「東歌」との表題が付いています。「東」の範囲はというと、大体今で言う東北・関東+甲信あたりでしょうか。一括りで「東」とされてしまうと、私たちには大雑把な感じもしますが、当時はど田舎だったのでしょうね。
 東国方言が入っている歌も多く、かなりわかりにくかったのですが、印象に残った歌を挙げてみたいと思います。まず一番はこれ。

多摩川に晒す手作てづくり さらさらに 何ぞこの子のここだかなしき (武蔵国の歌)

 三句目「さらさらに」で「晒す」と「サラサラ(擬声語)」と「更に更に」を掛けています。非常に美しいところだと思います。「かなし(き)」は「可愛い」のような意味らしいです。
 なぜ私がこの歌を特に好きかといいますと、以前田園調布に住んでいたことがあり、多摩川が近くに流れていたので、親しみを覚えるのです。ちなみに「調布」という地名は各地で見られるそうですが、「調(税)にした布」という意味だと説明されており、歌の内容とも合致してきますね。
 もう一つ挙げてみます。
天の原富士の柴山 木の暗(このくれ)の時移りなば 会はずかもあらむ (駿河国の歌)

 「天の原」は富士に掛かる枕詞ですが、その富士を「木の暗の時(新緑で木の影が暗い時分のことだと解説されています)」の「柴山」と詠んだのはどうでしょうか。現代東京人もそうかもしれませんが、奈良の都の人々にとっての富士山は、
田子の浦ゆ打ち出でて見れば 真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

の歌に見るように、「万年雪を頂いた白く美しい山」というイメージだったのではないでしょうか。少なくとも、現代東京人の私はそうです(笑)対して駿河国の人々にとっては富士山は身近なものだったのだと思います。他にも「富士の嶺のいや遠長き山路」という表現をしている歌もあり、これも富士山を生活の場にしているからこそできる表現ではないでしょうか。

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