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2012年5月 5日 (土)

あづまうた

 万葉集は現在巻第十五の途中まで来ましたが、その前の巻第十四というのが面白い巻で、「東歌」との表題が付いています。「東」の範囲はというと、大体今で言う東北・関東+甲信あたりでしょうか。一括りで「東」とされてしまうと、私たちには大雑把な感じもしますが、当時はど田舎だったのでしょうね。
 東国方言が入っている歌も多く、かなりわかりにくかったのですが、印象に残った歌を挙げてみたいと思います。まず一番はこれ。

多摩川に晒す手作てづくり さらさらに 何ぞこの子のここだかなしき (武蔵国の歌)

 三句目「さらさらに」で「晒す」と「サラサラ(擬声語)」と「更に更に」を掛けています。非常に美しいところだと思います。「かなし(き)」は「可愛い」のような意味らしいです。
 なぜ私がこの歌を特に好きかといいますと、以前田園調布に住んでいたことがあり、多摩川が近くに流れていたので、親しみを覚えるのです。ちなみに「調布」という地名は各地で見られるそうですが、「調(税)にした布」という意味だと説明されており、歌の内容とも合致してきますね。
 もう一つ挙げてみます。
天の原富士の柴山 木の暗(このくれ)の時移りなば 会はずかもあらむ (駿河国の歌)

 「天の原」は富士に掛かる枕詞ですが、その富士を「木の暗の時(新緑で木の影が暗い時分のことだと解説されています)」の「柴山」と詠んだのはどうでしょうか。現代東京人もそうかもしれませんが、奈良の都の人々にとっての富士山は、
田子の浦ゆ打ち出でて見れば 真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

の歌に見るように、「万年雪を頂いた白く美しい山」というイメージだったのではないでしょうか。少なくとも、現代東京人の私はそうです(笑)対して駿河国の人々にとっては富士山は身近なものだったのだと思います。他にも「富士の嶺のいや遠長き山路」という表現をしている歌もあり、これも富士山を生活の場にしているからこそできる表現ではないでしょうか。

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